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東京地方裁判所 平成元年(ワ)3040号 判決 1991年7月25日

原告

甲野花子

(旧姓乙野花子)

右訴訟代理人弁護士

野末寿一

被告

小林茂

我妻隆

右両名訴訟代理人弁護士

三森淳

被告

小林シズ子

主文

一  被告小林茂は、原告に対し、別紙物件目録(一)記載の土地について、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二  被告小林茂は、原告に対し、別紙物件目録(二)記載の建物についてされた東京法務局大島出張所昭和四六年八月一六日受付第一七四六号所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

三  被告小林茂は、原告に対し、別紙物件目録(三)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明け渡せ。

四  被告我妻隆は、原告に対し、別紙物件目録(一)記載の土地についてされた別紙抵当権目録(二)記載の抵当権設定登記の抹消登記手続をせよ。

五  被告我妻隆は、被告小林茂が第二項の抹消登記手続をすることを承諾せよ。

六  被告小林茂及び同小林シズ子は、原告に対し、別紙物件目録(二)記載の建物を明け渡せ。

七  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨の判決及び仮執行の宣言

二  本案前の被告小林茂及び同我妻隆の答弁

1  本件訴えを却下する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

三  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四三年一月三一日、父の小林才次郎(以下「才次郎」という。)が東京都大島町から払下げを受けた東京都大島町<番地略>38.75平方メートルの土地(以下「旧一〇一四番三三の土地」という。)並びに同四二年六月一日、才次郎所有の右同所<番地略>333.22平方メートルの土地(以下「旧一〇一四番の八の土地」という。)及び別紙物件目録(二)記載の建物(以下「本件第一建物」という。)の各贈与を受け、それぞれの所有権を取得した。

2  旧一〇一四番の八の土地は、昭和五四年八月一三日、国土調査による成果を原因として旧一〇一四番三三の土地を合筆し、別紙物件目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)となっている。

3  被告小林茂(以下「被告茂」という。)は、昭和四六年八月一六日、旧一〇一四番の八、同番三三の土地及び本件第一建物について、贈与を原因として、所有権移転登記(東京法務局大島出張所昭和四六年八月一六日受付第一七四六号、以下「本件所有権移転登記」という。)を得ている。

本件所有権移転登記は、被告小林シズ子(以下「被告シズ子」という。)が所有者である原告に無断で、贈与もないのにその手続を行ったものであり、登記原因を欠く無効の登記である。

4  被告茂は、昭和五四年七月二六日、本件土地上に、別紙物件目録(三)記載の建物(以下「本件第二建物」という。)を建築し、同月二七日、所有権保存登記を得ている。

5  被告我妻隆(以下「被告我妻」という。)は、被告茂から本件第二建物について、昭和六〇年四月二二日、別紙抵当権目録(一)記載の抵当権設定登記(以下「本件第一抵当権設定登記」という。)を得、本件土地と本件第一建物については、同六三年一月一四日、同目録(二)記載の抵当権設定登記(以下「本件第二抵当権設定登記」という。)を得ている。

被告我妻は、本件第一建物について被告茂が本件所有権移転登記を抹消するにつき登記上利害関係を有する第三者である。

6  被告茂と同シズ子は本件第一及び第二建物に居住してこれを占有している。

7  よって、原告は、本件土地及び本件第一建物の所有権に基づき、被告茂に対しては、旧一〇一四番の八、同番三三の各土地、本件第一建物についてされた本件所有権移転登記の抹消登記手続を求めるべきところ、右各土地はその後合筆されて本件土地となったため、本件土地について右抹消登記手続に代えて真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続を求め、本件第二建物を収去して本件土地の明渡を求め、被告我妻に対しては、本件土地についてされた本件第一抵当権設定登記の抹消登記手続を求め、本件第一建物については被告茂が右抹消登記手続をすることの承諾を求めるとともに、被告茂、同シズ子に対しては、本件第一建物の明渡を求める。

二  本案前の主張(被告茂、同我妻)

1  原告は、いまだ家庭裁判所において禁治産宣告を受けてはいないが、本件訴訟を弁護士に委任できるだけの意思能力を有していない。

2  仮に、原告が意思能力を有するとしても、本件訴訟は、原告に無断で、同人の姉妹である山越恵美子(以下「恵美子」という。)、松岡朝子(以下「朝子」という。)らが必要な書類を作成して原告代理人弁護士野末寿一に依頼し、被告茂を相手方として本件土地並びに本件第一及び第二建物について処分禁止の仮処分命令を、被告我妻を相手方として本件第一及び第二抵当権設定登記について処分禁止の仮処分命令をそれぞれ得て、その旨の登記をした後、本件訴訟を提起したものであり、原告代理人に対する処分禁止の仮処分及び本件訴訟の委任は訴訟代理権を欠いていずれも無効であるから、本件訴えは不適法として却下すべきである。

3  また、原告が適法に原告代理人に訴訟代理権を授与したとしても、原告は、平成元年二月一五日ころ、原告代理人に対し、本件訴訟の追行を委任することを取り消す旨の意思表示をしたから、本件訴訟は訴え提起にあたって代理権を欠いていたものであり、不適法として却下すべきである。

4  原告の被告シズ子に対する訴訟は原告と被告シズ子との馴れ合い訴訟であり、訴えの利益はなく、そもそも被告シズ子は本件土地、本件第一及び第二建物について独立の占有を有するものではなく、被告茂の単なる占有機関に過ぎないから、原告の被告シズ子に対する訴えは権利保護の要件を欠くというべきであり、いずれにせよ、却下を免れない。

三  請求原因に対する認否

(被告茂、同我妻)

1  請求原因1のうち、原告の父の才次郎が、昭和四三年一月三一日当時、旧一〇一四番三三の土地、昭和四二年六月一日当時、旧一〇一四番の八の土地及び本件第一建物の各所有権を有していたことは認め、その余は否認する。

2  同2の事実は認める。

3  同3のうち、前段の事実は認め、後段の事実は否認する。

4  同4、5の事実は認める。

5  同6の事実は認める。

(被告シズ子)

請求原因事実はすべて認める。

四  本案前の主張に対する認否

本案前の主張1のうち、原告が禁治産宣告を受けていないことは認め、その余の事実は否認する。

五  被告茂、同我妻の主張ないし抗弁(以下「抗弁」という。)

1  贈与(主位的抗弁)

(一) 才次郎は、昭和三六年八月一八日、旧一〇一四番の八の土地を東京都大島町からの払下げにより、その所有権を取得した。才次郎は、同三七年五月二九日、右土地上の本件第一建物も他から買い受け、その所有権を取得した。

ところが、才次郎は、相当の脳障害のあった四女である原告の将来を思って、原告に対し同四二年六月一日贈与を原因として同月七日所有権移転登記をしたが、これは名義を形式的に移すだけのものであった。

また、才次郎は、同四三年一月三一日旧一〇一四番三三の土地を東京都大島町からの払下げによりその所有権を取得したが、その登記についても右同様の事情により、直接、同四六年八月一一日原告名義で所有権移転登記を得た。

(二) 才次郎は、昭和四六年八月ころ、相当の高齢に達したところ、一人息子の小林才知(以下「才知」という。)は大島町から他所に転出して独立の生計を営むようになり、老後を託することができなくなったため、偶々長女である被告シズ子の長男で自分の孫に当たり、幼少のころから親代りに養育してきた被告茂が、地元の高校を卒業して群馬県所在の会社に勤務するようになり、頼れるようになったので、旧一〇一四番の八、同番三三の土地と本件第一建物を被告茂に贈与して、老後と原告の将来を託そうと考えるようになった。そこで、才次郎は、同四六年八月一六日、旧一〇一四番の八、同番三三の土地及び本件第一建物について同月一四日贈与を原因として被告茂のために本件所有権移転登記をした。

本件所有権移転登記がされた当時、才次郎は被告茂に受贈の意思を確認していなかったが、同四七年五月、被告茂は才次郎の期待通りに大島町に帰って生活するようになり、同年六月ころ、誰もいないところで再三にわたり、本心を打ち明けられ、右土地と建物を贈与する旨を告げられ、これを受諾したものであって、これにより右所有権移転登記の原因である贈与契約は遡って効力を生じた。

2  時効取得(予備的抗弁)

被告茂は、昭和四六年八月一六日、本件土地及び本件第一建物の占有を開始し、自己の所有物であると信じ、以後公租公課を支払って本件第一建物に居住して本件土地を占有してきた。そして、被告茂が、右同日に占有を開始した際、本件土地及び本件第一建物の登記名義は被告茂に変更され、その際、才次郎から本件土地および本件第一建物を贈与すると告げられたのであるから、被告茂がこれらを自己の所有であると信ずることについて過失はなかった。したがって、被告茂は、同五六年八月一六日が経過した時点で同四六年八月一六日に遡って本件土地及び本件第一建物の所有権を時効によって取得したということができる。そこで、被告茂は右時効を援用する。

六  被告茂、同我妻の主張ないし抗弁に対する認否及び抗弁2に対する再抗弁

1  抗弁1のうち、(一)の、才次郎が昭和三六年八月一八日旧一〇一四番の八の土地を東京都大島町からの払下げによりその所有権を取得し、同三七年五月二九日右土地上の本件第一建物を他から買い受け、その所有権を取得したこと、旧一〇一四番の八の土地及び本件第一建物について同四二年六月一日贈与を原因として同月七日原告のために所有権移転登記がされたこと、旧一〇一四番三三の土地について同四六年八月一一日原告名義で所有権移転登記がされたこと、同(二)の、同四六年八月ころ被告茂が地元の高校を卒業して群馬県所在の会社に勤務していたこと、同年八月一六日旧一〇一四番の八、同番三三の土地及び本件第一建物について同月一四日贈与を原因として被告茂のために本件所有権移転登記がされたこと、被告茂は同四七年五月大島町に帰って生活するようになったことは認め、その余の事実は否認する。

2  同2の事実は否認ないし争う。

3  被告茂には、本件土地及び本件第一建物の占有を開始するにあたり、同被告ら主張の贈与を受けた事実はないから、占有について所有の意思を欠いていたものである。

第三  証拠<省略>

理由

一本案前の主張について

1   意思能力の欠缺

(一)  本案前の主張1のうち、原告が禁治産宣告を受けていないことは当事者間に争いがない。

(二)  右(一)の争いのない事実、<証拠>によれば、原告は三歳のときに日本脳炎に罹患し、そのために知能の発達が遅れ、現在でも判断力、理解力において十分であるとはいえないことが認められるけれども、原告本人尋問の結果によれば、原告は本件訴訟の意味を十分理解していると認められ、原告に意思能力がないとの事実を認めるに足りる証拠もないから、原告が本件訴訟を弁護士に委任できるだけの意思能力がないということはできない。したがって、本案前の主張1は理由がない。

2  訴訟代理権の欠缺

(一)  前記1で認定した事実、<証拠>を総合すれば、本件訴訟の提起前後の経緯について次の事実が認められる。

原告は、本件訴訟の提起に先立つ昭和六三年一二月、被告茂を相手方として本件土地並びに本件第一及び第二建物について処分禁止の仮処分命令を、被告我妻を相手方として本件第一及び第二抵当権設定登記について処分禁止の仮処分命令をそれぞれ得て、同月二六日その旨の登記をした。ところが、被告茂及び同我妻は、平成元年一月二九日、当時は原告の内縁の夫(平成二年五月二四日婚姻)で原告と同居していた伸治方に赴き、伸治と原告に右処分禁止の仮処分を取り下げてくれるように依頼した。そして、被告茂は、原告が右処分禁止の仮処分を依頼する際に朝子との間でした代理権授与契約を解除する旨の内容の解任届と題する書面(乙第一号証)及び右書面の内容を証するための誓書と題する書面(乙第二号証)を作成し、原告からは右の解任届に、伸治からは右の誓書にそれぞれ署名押印を得た。さらに、被告茂及び同我妻は、右処分禁止の仮処分事件を担当した弁護士野末寿一(本件訴訟の原告代理人)に右処分禁止の仮処分を取り消すことなどを依頼する旨の書面(乙第三号証の一)を作成し、これに原告から署名押印を得、同年二月一五日これを原告代理人宛に送付した。

その後、原告は同年三月七日原告代理人に本件訴訟の追行を委任し、原告代理人は同月一〇日本件訴訟を提起した。その際、原告は原告代理人に本件訴訟の提起、追行を委任する旨の委任状に署名押印した。本件訴訟の提起後、同二年八月二七日請求放棄書と題する書面(乙第四五号証)が、同年一〇月三日本件訴訟を取り下げない旨の原告名義の上申書がそれぞれ裁判所に提出された。もっとも、右の請求放棄書は原告の氏名及び原告名下の印影も含めて伸治が作成したもので、伸治は原告の意思に基づいて請求放棄書を作成したわけではない。

以上の事実が認められ、本件訴訟においては、原告の訴訟追行の意思の有無に関し、正反対の書証が存する。

しかし、原告本人尋問の結果によれば、原告は被告らに対し本件土地並びに本件第一及び第二建物の明渡し等を求める意思のあることが十分に認められ、原告が本件土地並びに本件第一及び第二建物についてした前記各処分禁止の仮処分は原告が本件訴訟を提起するにあたり当然とるべき措置であるということができ、<証拠>によれば、原告は、乙第一号証、第三号証の一の書面の内容を十分理解しないまま署名押印したことが認められるから、乙第一号証及び第三号証の一の内容が原告の真意であると認めることはできない。

右認定に反する<証拠>は、前掲各証拠に照らして直ちに信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二) 右認定の事実によれば、本件訴訟は原告の意思に基づくもので、原告に無断で同人の姉妹の恵美子、朝子らが訴え提起に必要な書類を作成して提起したものということはできないから、本案前の主張2は理由がない。

(三)  また、右認定の事実によれば、原告代理人宛に前記処分禁止の仮処分を取り消すよう求めた書面(乙第三号証の一)の到達によって、原告の原告代理人に対する本件訴訟提起の委任が取り消されたということはできない。そもそも原告が本件訴訟の提起を原告代理人に委任したのは平成元年三月七日のことであるから、いずれにせよ、本案前の主張3は理由がない。

3  訴えの利益、権利保護要件の決缺

(一)  被告茂及び同我妻は、原告の被告シズ子に対する訴訟は原告とシズ子との馴れ合い訴訟であり、訴えの利益はないと主張する。

被告らの主張する馴れ合い訴訟とは真実は本件土地及び第一建物につき原告が何らの権利も有しないにもかかわらず、原告と被告シズ子が共謀してあたかも権利があるかのごとく装って訴訟を追行し、被告茂らに対する訴訟を有利に進行させようとしていることをいうものと思われるところ、本件全証拠によっても原告と被告シズ子とが被告ら主張のように馴れ合って本件訴訟を追行している事実を認めることはできないから、右主張は、その適否を論ずるまでもなく、採用することができない。

(二)  次に、被告茂及び同我妻は、被告シズ子は本件土地、本件第一及び第二建物について独立の占有を有するものではなく、被告茂の単なる占有機関に過ぎないから、原告の被告シズ子に対する訴えは権利保護の要件を欠くと主張するが、被告茂、同我妻らには関連性のない事柄であるなど、その主張自体理由のないことは明らかというべきである。

(三)  したがって、本案前の抗弁4は採用することができない。

二請求原因並びに被告茂及び同我妻の抗弁1について

1  原告と被告茂及び同我妻との間では、請求原因1のうち、才次郎が、昭和四三年一月三一日当時、旧一〇一四番三三の土地を、昭和四二年六月一日当時、旧一〇一四番の八の土地及び本件第一建物の各所有権を有していたこと、同2の事実、同3のうち、被告茂が同四六年八月一六日旧一〇一四番の八、同番三三の土地及び本件第一建物について贈与を原因として本件所有権移転登記を得ていること、同4ないし6の事実、被告茂及び同我妻の抗弁1のうち、(一)の、才次郎が昭和三六年八月一八日旧一〇一四番の八の土地を東京都大島町からの払下げによりその所有権を取得し、同三七年五月二九日右土地上の本件第一建物を他から買い受けてその所有権を取得したこと、旧一〇一四番の八の土地及び本件第一建物について昭和四二年六月一日贈与を原因として同月七日原告のために所有権移転登記がされたこと、旧一〇一四番三三の土地について昭和四六年八月一一日原告名義で所有権移転登記がされたこと、同(二)の、昭和四六年八月ころ被告茂が地元の高校を卒業して群馬県所在の会社に勤務していたこと、同月一六日旧一〇一四番の八、同番三三の土地及び本件第一建物について同月一四日贈与を原因として被告茂のために本件所有権移転登記がされたこと、被告茂は同四七年五月大島町に帰って生活するようになったことは、争いがない。

また、原告と被告シズ子との間では、請求原因1ないし6の事実は、争いがない。

そうすると、原告の被告シズ子に対する請求は、理由がある。

2  ところで、原告は、本件土地及び本件第一物件は原告が才次郎から贈与を受けたもので、被告茂のためにされた本件所有権移転登記は無効であると主張し、被告茂及び同我妻は、本件土地及び本件第一建物は被告茂が才次郎から原告の生活の面倒をみるなどの事情があって贈与を受けたもので、本件所有権移転登記は実体に符合する登記であり、本件土地及び本件第一建物につきされた原告名義の登記は形式的に所有名義を移す趣旨でされたに過ぎないと反論する。

そこで、原告の被告茂、同我妻に対する請求に関し、才次郎が本件土地及び本件第一建物を贈与したのは原告であるか、被告茂であるかにつき判断する。

(一) 前記一で認定した事実、右1の争いのない事実、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 才次郎は、明治二七年に東京都大島町<番地略>に生まれ、以後、同所に住んで鍛冶屋などを営んでいたが、大正一四年に金森勢以(以下「勢以」という。)と結婚し、旧一〇一四番の八の土地上にある本件第一建物で生活し、そこで長男才知、二女被告シズ子、三女恵美子、四女原告及び五女朝子の五人の子供を育てた。

(2) その後、才知は東京に働きに出、恵美子、朝子も結婚して大島を離れたが、恵美子は、昭和六二年六、七月ころ、夫の山越鉱之助とともに大島に戻り、現在に至るまで大島で生活している。

被告シズ子は浅野正雄と結婚して昭和二七年に被告茂をもうけたが、その後同三一年に離婚して大島に戻り、当時幼かった被告茂を才次郎のもとに預け、自分は才次郎から少し離れたところに住んで大島の本町にあったキャバレーなどで働いていた。

当時才次郎が住んでいたのは本件第一建物で、被告茂は中学三年生になるまでは勢以、原告らとともにそこで生活していたが、中学三年生以降は被告シズ子とともに大島の本町にある町営住宅で生活していた。被告茂が同シズ子と同居した後、昭和四三年、勢以が脳溢血で倒れたが、被告茂も同シズ子も勢以の看病を嫌がり、才次郎方をほとんど訪れなかった。そのため才次郎は勢以の看病のことなどで被告茂や同シズ子に不満を抱いていた。勢以は、同四四年一〇月、死亡した。被告茂は同年三月に地元の高校を卒業した後は群馬県所在の会社に就職して大島を離れ、東京、埼玉、群馬県の高崎などで生活した。

(3) 原告は三歳のときに日本脳炎に罹患し、そのために知能の発達が遅れてしまい、才次郎は日頃から原告の将来を心配していた。

ところで、才次郎は、昭和三六年八月一八日、東京都大島町からの払下げにより、旧一〇一四番の八の土地の所有権を取得し、同三七年五月二九日、右土地上の本件第一建物を他から買い受けてその所有権を取得した。そして、才次郎は、同三六年から同四六年にかけて、遺産分けのつもりで大島町から払下げを受けて取得した土地などを才知、朝子らに与え、同人らのために所有権移転登記をしたが、才次郎らが長年住み慣れた本件第一建物及びその敷地である旧一〇一四番の八の土地については、日頃からその将来を最も心配していた原告に与えることにし、原告の老後の面倒は原告の兄弟らに見てもらうつもりである旨を才知、恵美子、朝子らに告げ、同人らもそれを了承した。そこで、才次郎は、同四二年六月七日、原告に旧一〇一四番の八の土地及び本件第一建物を贈与し、その旨の所有権移転登記をし、同様に原告に贈与する目的で、才次郎は、同四三年一月三一日、原告の名で東京都大島町から旧一〇一四番三三の土地の払下げを受けた。

原告は、昭和四一、二年ころに知り合った伸治とともに才次郎の住む本件第一建物で生活するようになり、同四五年ころには、才次郎の指示によって、才知が原告の肩書地に所有している建物(本件第一建物とは別の建物)で生活するようになった。これによって原告の日常生活の面倒は伸治が見ることになったものの、才次郎は、同四六年八月一一日、右の事情から、旧一〇一四番三三の土地を原告に贈与し、右同日、払下げを原因として原告のために所有権移転登記をした。なお、旧一〇一四番八の土地と旧一〇一四番三三の土地は、同五四年八月一三日、国土調査による成果を原因として合筆され、本件土地となった。

(4) ところが、被告シズ子は、右所有権移転登記がされた当時、才次郎の承諾のもと、本件第一建物でスナックを営業することにしていたが、スナックの営業を開始した後は、本件第一建物に住み、将来は被告茂を大島に呼び戻して跡を継いでもらいたいと考えていた。そこで、本件土地及び本件第一建物の登記名義を原告から被告茂に変更することを企図し、才次郎には無断で、才次郎が金庫に保管していた本件土地及び本件第一建物の権利証、原告の印鑑などを金庫から取り出して、これらを司法書士の柴山に交付し、原告の印鑑登録の申請(そのときの申請書が乙第一九号証)、登記申請のための書類の作成などを含め、本件土地及び本件第一建物について原告から被告茂への所有権移転登記手続を依頼し、昭和四六年八月一四日、被告茂のために本件所有権移転登記をした。その後、本件土地及び本件第一建物の登記済権利証(乙第一七号証、以下「本件権利証」という。)は被告シズ子が保管していた。

(5) 被告茂は、被告シズ子から大島に戻るようにいわれて、昭和四七年五月、勤務していた株式会社伊藤園を退職し、大島に戻り、本件第一建物で才次郎及び被告シズ子と生活を始めたが、そのころ、被告シズ子から本件土地及び本件第一建物の登記名義が被告茂になっていることを聞かされた。被告シズ子は、同年、本件第一建物の一部を改造してスナックの営業を開始したが、才次郎はスナックの客などが騒いでうるさくて眠れなかったため、本件土地に別棟を建てて、そこに住むようになった。

才次郎は同五三年九月一〇日に死亡したが、その葬儀が済んだ後、被告シズ子は原告、恵美子、朝子、及び才知に本件土地及び本件第一建物の登記名義を原告から被告茂に変更したことを打ち明けた。被告茂も同シズ子が才次郎に無断で右登記名義を変更したことを認め、才次郎が原告に贈与したことを聞いて、とりあえず本件土地及び本件第一建物の登記名義を原告に戻すことを約した。しかし、被告茂は右登記名義を原告には戻さず、その後、同五四年七月二六日に、恵美子、朝子らに無断で、才次郎が住んでいた別棟を取り壊してその跡に本件第二建物を建てた。そして、同五八年一月、我妻ますみ(以下「ますみ」という。)と結婚して本件第二建物で生活を始めた。なお、被告シズ子は本件第一建物で生活し、現在に至っている。被告茂は、後記(7)認定のとおり、本件第二建物を建てるため、住宅金融公庫から融資を受けたが、その際、被告シズ子から本件権利証を預かり、その後は被告茂が本件権利証を保管していた。朝子は被告茂がなかなか本件土地及び本件第一建物の登記名義を原告に戻さないので、同五八年一二月ころ、被告茂に本件権利証の写し(甲第四号証の二)をとらせ、これを同人宛に送らせるなどした。

(6) 恵美子、被告シズ子及び朝子は、その後も、被告茂がなかなか本件土地及び本件第一建物の登記名義を原告に戻さないので、昭和六三年一月七日、被告茂に対し、本件土地と本件第一建物を原告に返すという趣旨の書面を作成するよう求めたところ、被告茂はその旨の書面(甲第三号証の二、なお、甲第三号証の二の「前の家」とは本件第一建物を指すものと解される。)を作成して、これを恵美子と朝子に交付した。被告シズ子も同じ内容の書面(甲第三号証の一)を作成して、これを同人らに交付した。その際、居合わせたますみの実父である被告我妻は、被告茂の作成した右書面を取り返そうとして、朝子ともみ合いになったが、取り返すことはできなかった。そして、被告シズ子は、右の話合いの結果を再確認する意味で、同年一〇月二九日にも、同様の趣旨の書面(甲第四号証の一)を作成したが、被告茂は翻意し、同年八月には、朝子夫妻に対し、登記名義を原告に戻すつもりはないというようになった。

(7) ところで、被告茂は、本件第二建物を建てるにあたって、住宅金融公庫から金四四〇万円を借り受けるなどし、住宅金融公庫の貸金債権を担保するために本件土地及び本件第二建物に抵当権を設定し、その旨の登記をした。

被告シズ子は、同年一二月二八日、スナックの営業資金を借り入れるなどのために本件土地、本件第一及び第二建物に七島信用組合のために根抵当権を設定し、同五五年一月八日、その旨の登記をした。その後、被告シズ子は右信用組合からの借入金の返済に充てる目的で、同五九年一二月二五日、被告我妻から金五三〇万円を借り受け、同六〇年一月一八日、右信用組合に借入金全額を弁済し、同月二二日、前記根抵当権設定登記の抹消登記手続をした。そして、被告我妻の右貸金債権を担保するため本件第二建物に抵当権を設定し、同年四月二二日、本件第二抵当権設定登記をした。

また、被告茂は、前記住宅金融公庫からの借入金の返済に充てる目的で、同六三年一月一三日、被告我妻から金三五〇万円を借り受け、右同日、住宅金融公庫に借入金全額を弁済し、同月一四日、前記抵当権設定登記の抹消登記手続をした。そして、被告我妻の右貸金債権を担保するため本件土地及び本件第一建物に抵当権を設定し、右同日、本件第一抵当権設定登記をした。

右各登記はいずれも原告に無断でされたものである。

(8) 原告が肩書地の才知所有の建物で伸治と生活するようになってからは、その生活の面倒はすべて伸治が見ている。被告茂は、伸治が同六三年一月に御蔵島に出稼ぎにいく際に、伸治に頼まれて一時原告の面倒を見たりしたことはあるものの、才次郎が死んだ後は原告と一緒に住んだことはなく、生活の面倒を見たこともない。

以上の事実が認められる。

被告茂は、その本人尋問において、被告茂が大島に戻った後、才次郎から遺産分けの話しがあり、才知と朝子にはそれぞれ大島の土地と建物を、恵美子には金一〇万円を与え、被告茂には原告の生活をみる代わりに本件土地及び本件第一建物を与えるといわれたと供述しており、前記認定の才次郎による遺産分けの事実によれば、その供述の一部を裏付けることができるかのようである。

しかし、被告茂の供述によれば、才次郎は昭和四六年八月一六日当時にはすでに本件土地及び本件第一建物を被告茂に贈与するつもりであったことになるが、前記認定のとおり、原告は昭和四五年には才次郎の承諾を得て才知の所有する家で伸治と生活を始めているのであるから、わざわざ被告茂に原告の生活の面倒を見てもらう必要はなく、そもそも才次郎は勢以の看病のことなどで被告茂の態度に腹を立てていたのであるから、才次郎が原告の将来を案じていたとはいえ、昭和四六年当時、その将来を被告茂に託そうと考えていたとはおよそ考え難い。また、旧一〇一四番三三の土地は、その払下げを受けた際、一旦原告名義にされてからわずか五日後に被告茂名義にされているが、被告茂の供述によれば、才次郎から本件土地及び本件第一建物を贈与するとの話しを聞かされたというのは同被告が大島に戻った昭和四七年五月以降のことであり、このように才次郎が被告茂の意思を確かめることなく、本件土地及び本件第一建物の登記名義を被告茂にしなければならなかった理由があったとは到底考え難い。

このように、被告茂の右供述は重要な部分において不自然、不可解なところがあるのに対し、被告シズ子の供述は、全般にわたっておおむね自然で合理的であるといえる。しかも、被告茂は、才次郎から贈与の話しがあったのは被告茂がひとりのときで、同被告以外の者がその話しを聞いたことはないと供述しており、それ自体不自然であるのみならず、その供述を裏付ける的確な証拠もない。

以上の諸点に照らすと、被告茂の前記供述は信用することができない。

また、乙第一七号証、第一九号証の原告作成名義部分は、前記認定のとおり、才次郎により作成されたものとは認められない。

そのほか、右認定に反する<証拠>は、前掲各証拠に照らして直ちに信用することができない。

他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  以上によれば、原告が才次郎から本件土地及び本件第一建物の贈与を受けてその所有権を取得したこと、被告茂が本件土地及び本件第一建物について本件所有権登記を得、本件第一建物を占有していること、原告に無断で本件土地上に本件第二建物を建築して所有していること、被告我妻が本件土地及び本件第一建物について本件第二抵当権設定登記を得ていることが認められるから、請求原因は理由がある。そうすると、抗弁1は理由がない(なお、仮に抗弁1が被告茂、同我妻において、原告からの贈与を主張する趣旨を含むとしても、これを認めるに足りる証拠がない。)。

三被告茂及び同我妻の抗弁2及び再抗弁について

1  才次郎は原告に旧一〇一四番の八及び同番三三の各土地並びに本件第一建物を贈与した後、本件第一建物に居住していたこと、原告は、昭和四五年ころから才次郎の指示によって才知が所有する建物に居住していたことは前記認定のとおりであり、これらの事実によれば、才次郎が原告に本件土地及び本件第一建物を贈与した後は、原告は才次郎を代理占有者として本件土地及び本件第一建物の占有を取得したということができる。

2  そして、才次郎は、昭和五三年九月一〇日に死亡し、その後は被告茂と同シズ子が本件第一建物に居住していたが、被告茂は、大島に戻って以後、被告シズ子から本件土地及び本件第一建物の登記名義が原告から被告茂に変更していることを聞かされ、現に被告茂のために本件所有権移転登記がされていたことなどの事実を考えると、被告茂は昭和四七年五月ころに本件土地及び本件第一建物の占有を取得したということができる。

3  しかし、前記認定のとおり、被告茂は同シズ子から本件所有権移転登記の取得の経緯を聞かされ、またその登記の原因である贈与のなかったことを知っていたのであるから、占有の開始にあたり所有の意思がなかったということができ、したがって、被告茂及び同我妻の抗弁2は理由がない(なお、右被告らは、原告の相続回復請求権等の時効消滅の主張をするかのようでもあるが、前記認定の事実に照らし、その主張自体失当であることは明らかである。)。

そうすると、原告の右被告らに対する請求は理由がある。

四結論

以上によれば、原告の本訴請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用し、仮執行の宣言につき、主文第一、第二項及び第四、第五項については申立が不適法であり、同第三項及び第六、第七項については相当ではないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官浅野正樹 裁判官升田純 裁判官鈴木正紀)

別紙<省略>

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